執筆者 ginjiro | 23年06月21日 | コラム
8月で5歳になった次男坊。少々危なっかしい所やひょうきんな所は、自分の幼少期と重なって見える。「脱走して家に帰らないように!」と、あえて遠くの保育園を選んだと母やんから聞かされた。 伊勢市大世古保育所虎組の集合写真の中に、今と変わらない顔の自分と、もう一人今と全く変わらないクラスメイトの清水。三代続く南勢糧穀の現社長である彼とは中学まで同じ学校に通い、優秀だった彼とそうでない自分はそれから全く疎遠であった。20年という熟成を経てフェイスブックなどで繋がり集まった同級生の中で彼とも再会した。...
執筆者 ginjiro | 23年06月21日 | コラム
ヒメジ、ベラ、ヘダイ、グレ、赤エイ…。外道という不名誉な呼ばれ方をする魚たち。光と影、どんな世界にでもある勝手な勝負付け。 赤い魚には高級魚が多い。明石の鯛や甘鯛、キンキにノドグロなど花形が名を連ねる。 「ヒメジ」をご存知だろうか?...
執筆者 ginjiro | 23年06月21日 | コラム
ヒメジ、ベラ、ヘダイ、グレ、赤エイなど、外道という不名誉な呼ばれ方をする魚達。 光と影、どんな世界にでもある勝手な勝負付け。理由は色々とあるが、まとまった水揚げがなかったり料理人が使いにくく(扱えず)、買い手が少なくお金になりにくいので漁師の扱いも荒く、状態の良くない物が出回る。多くの調理師が年中安定した味を求め今日も養殖の鯛や冷凍のブリを仕入れる。(これが悪い訳ではない。)...
執筆者 ginjiro | 23年06月21日 | コラム
翌年、三重県に帰った私は師匠から戦いのステージをいただいた。28歳でミュゼボンヴィヴァンのシェフに就任。その時師匠に「伊勢と全く違うカラーを打ち出せ!」という司令をうけ、山の恵と共にワインに力を入れた。数年後、さらなるレベルアップを図るべく、タルヤスの鬼頭さんにコラボイベントのお願いをし、今も毎回満席の人気イベント「マリアージュの会」をスタート。 そのイベントのクオリティにインポーターが食い付き、地方ではあり得ないような世界的なワイナリーを招いての美食の会を何度も開催。...
執筆者 ginjiro | 23年06月21日 | コラム
黒いギャルソン服に黒いタブリエ。 いつもより長い時間鏡を見る自分の胸元には金色の葡萄バッジがあった。 本気の戦いで負けた23歳の夏。 あれから1年、かなり精度を上げ掴んだ念願のソムリエ資格。取得後の景色は変わり、ワイン業界の付き合いが増える中で数人から言われたある人物の話。 「エクシブのシェフソムリエ知っとる?」。同世代のライジングスターだと皆が口を揃える。数年後、友人の祝いでエクシブに行った時、彼の姿はなかった。...
執筆者 ginjiro | 23年06月21日 | コラム
平成29年 立冬、ハシボソガラスの乾いた鳴き声が広大な橙色の敷地に響く。昭和8年から続くこの景色は、津市高野尾にある前川さんがご夫婦で営む果樹園。創業からこの丘を見守る樹齢86年の次郎柿は、祖父から繋げてきた誇り。当初は柿一色だった果実も、今では種類豊富な柑橘類やザクロに巨大なスイーツキウイ、私が樹ごと買わせていただく大きなサルナシなど、まるで色鮮クレパスのようにこだわりの品が揃う。...